先週までの大胆な推察に、早くも話題騒然となって....おりませんが、いったいどうしたことでしょう?などということは特に気にせず、今宵も先週に続き、亀麿君の足跡をたどりましょう。さて、伝承話というものは、古い話ほど事実に近い(ような)気がします。緑風荘ご当主・五日市洋氏から伝え聞いた伝承よりは先代のお話、先代のお話よりは先々代のお話・・・という具合に、より真実に近いのは先々代のお話では?と推察する次第です。そこで我々は、先々代のお話を元に、またまた大胆な仮説を考えました。今夜はそんな3人の仮説をそれぞれ発表してまいります。どんな話が飛び出すか? さっそくお聞きくださいまし。
********************************************************************
加藤:
はい、皆様今晩は。今日からは「亀麿様の足跡をたどる・シーズン2」でございます。
内山:
はい。それであの、お二人に宿題を出しておきましたよね?
藤原:はい。
加藤:
皆さんあのね。内山さんからですね。メールが届きましてですね。亀麿様は誰に殺されたんだと思う?なんていうね。宿題を出されていたんですよ。
内山:
そうなんですね?。それで、まぁ、私は亀麿様殺害説という立場に立ってですね。言い伝えというのは、より古い人の話を尊重した方が良い、と。例えば当代よりもやはり先々代のお話の方が古いですから。
で、先々代ははっきりと殺されたんだと言ってましたからね。たぶん言い伝えではそうだったのでしょう。ただ、旅館業としては好ましくないので、ちょっとすり替わったのかな、と。
そこで、亀麿様殺害説に立って、どこで、誰にいつ頃殺されたのか?というのを宿題に出しておいたわけなんですけどね。三人で三様の考えを・・・。
藤原:
いや、三人三様と言うけど、加藤君と話したんですよ。これは間違いなく内山さんは確固たる答えを見つけやがったな?と(笑)。
内山:あぁ?、するどいですね?(笑)。
加藤:そりゃ?そうでしょう!
藤原:で、あぁ?お二人はそんな程度ですか?とか言うんでしょ?
内山:
いやいやいや、そんなことは言いませんけどね。じゃ、お二人の答えをね。まず、どこで殺されたのか?と。
加藤:
えっと。じゃ、まずボクが考えたのはですね。てか、考えても考えても分かんねぇもん。で、いよいよ磐梯山を越えようとする時に、えぇと、裏切り者がいたんじゃないかな?と。
藤原:おぉ?!
内山:ほぉ?、それは面白いな?。
加藤:
ただ、だからそれは誰か?っていうことはなくて、誰かが北朝方に寝返るために、亀麿君を殺害した・・・・かな?と。
藤原:いや?、なかなか良い視点ですよね?
内山:ストーリーとしては面白いですよね。
加藤:でも、こんなストーリーって映画とか小説な感じじゃない?
藤原:いやいや。事実は小説より奇なり。
内山:あの頃の時代ならザラにあった話しですよね。そういうのは。
加藤:
ただ、これには矛盾があって、もし北朝方に寝返るために殺害したのであれば、その亡骸なり首なりを持って北朝方へ行くべきなのに、埋葬したっていうでしょ? 埋葬したら首とか・・・ねぇ? そこが大きな矛盾かなぁと。
内山:
謀叛者が返り討ちにあった、というのはどう? 殺害はしたけど、亀麿様の取り巻きに返り討ちにあってしまった、と。
加藤:あぁ?、なるほど。
内山:で、いつ頃だと思う?
加藤:へ? えっと・・・1335年か6年・・・かな?
内山:で、何月頃?
加藤:へ? へ?
藤原:わっ やだ! このおじさんしつこい!
加藤:
亡骸を埋めたっていうんだから、冬ではないですよね。凍ってたら埋められないし。なんだろ? なんとなく新緑の頃? 4月か5月とか?
内山:なるほど。まぁ、話としてはそれなりに面白いですよね。
藤原:
季節的なことで言えば、弟君が海路を使ったわけだから、冬とか台風の季節では、海が荒れて航海できないからね?。
内山:そうそう! そうなんですよね?!
藤原:
それと、兄弟それぞれはほぼ同じ時期に旅立ったと思うんですよ。片方だけ出発してもう片方がまだ滞在してるとなると経済的なこともあるだろうし、家来も分散しちゃうわけだから。
内山:
そうですね。会津若松までは間違いなく一緒に来たとは思うんですよね。
藤原:
そうそう。だから加藤君の言う季節的なところは、間違いないと思うよ。これで決まりましたね! そういうことですよ!
内山:あら? 藤原さんの話はどうしたの?
加藤:はい、じゃ、藤原さんの話。何月だと思う?
藤原:え? まったくその通りで、5月か6月・・・
加藤:誰に殺されたと思う?
藤原:へ? あのね・・・
加藤:相手は?
藤原:
・・・・ 自分が終わったもんだからって(笑)。昨日聞いた時には全然変なこと言ってたくせに・・・
加藤:いいんだって!どうせ(話を)つまむんだから!
藤原:
つままねぇよ! でね。実は私もこれ!といったことはないんですよ。ただ、真っ先に考えついたのは、北朝だ南朝だとかじゃなくて、先に弟君を送り出してから、自分が出発するまでの数日の間にね。ごくわずかのお伴の人と山遊びをしてる時に、山賊に襲われたのではないか?と思ったんです。
というのは、家来たちが一緒だったとは考えにくいんですよ。なぜなら、その亀麿君の逃避行を見ていたという、その方がですね。埋葬シーンを見ていたと。その方は死んでなかったということですよね。たぶんね。その方は階級で言うと下級武士だと思うんです。
もし亀麿君が襲われた時、そばにいたならその方は真っ先に矢面に立つべき立場なのに、殺されずに埋葬まで立ち会っている。ということは、末端の家来を連れずに乳母とかそういうお世話をする人たちだけがそばにいたんではないかな?と。
山賊にとっては、北朝だ南朝だというゴタゴタは隠れ蓑としては非常に都合が良いと思うんですよ。で、そういう山賊は、相手を殺して金品を奪えば、何も首チョンパする必要なんてないわけだからね。それに、埋葬された時に、特に首がなかったとかね?そういう話は出て来なかった。遺体にはちゃんと首があったと思うんです。
それともう一つ。言い伝えにあるように、亀麿君は亡くなる時に、「一族を末代まで我が守ろうぞ」と言って亡くなっている。ということは、その襲われた場所で完全に息の根を止められたのではなくて、瀕死の状態でその庄屋さんのお家に戻ってきた・・・。という風に考えると、やはり山賊に襲われたところを、家来たちに助けられたんだけど、結局は亡くなってしまったのではないか・・・というのが私の考えです。
内山:なぁるほどね?。加藤さんはどう思います?
加藤:いや、ボクもそれを聞いた時に、なるほど!と思ったんですよね。
内山:じゃぁ、次は私の番ですね。
加藤:あ、正解の方ですね。
内山:
え?正解?(笑) 私が言ってることが正解じゃなくてね? いや、さすがに藤原さん、するどいですね。
加藤:お? おぉ??!
藤原:いやいやいや。ヨイショしたって、内山さんの方が正しいんでしょ?
内山:
違う違う。どこで襲われたか?っていうのは、桧木谷地のとなりに蘭(あららぎ)峠というところがあるんです。高低差はそんなにないんだけど、大塩という宿場と桧原宿を結ぶ峠で、なんと山賊で有名なところだったんです。
加藤:へぇ??????!!
内山:
で、山賊というのは大勢で人を襲うわけですよ。そこでまぁ、小さい子ですから手傷を負ったと。でも、同行していたのは侍ですから。殺されるまではいかずに、亀麿様を助けてなんとか逃げ帰ったと。そして桧原の庄屋の家にやっかいになったというふうに思ったんです。
藤原:ほら! 私の考えた通りじゃないですか!ほぼ!
内山:
そう。ほとんどそうですよね?。ここはホントに山賊で有名なところなんですよ。それで、戦国時代になって、たくさん旅人が通るから、そこを治めるお侍が兵隊を派遣し、山賊を退治したそうなんです。
藤原:あぁ、そんなに。もう、山賊通りなんだ。
内山:山賊通りなんですよ、ここ。
藤原:いや??、いいところに目をつけたね?藤原さんは(笑)。
内山:
はい。いや、私はね?暇だし、何かないか?と思って、こういうのを見つけたのですが、やっぱり藤原さん、大したもんですよ。
藤原:
まぁ、山賊は人を殺すのが目的じゃないからね。金品を奪うのが目的なわけだから。
加藤:あ、そっか。そうだよね。
内山:
それでね。じゃ?いつ頃なのか?ということなんですが。足利尊氏が京都に攻め入ったのは1月なんですよ。ですから、12月か1月には逃避行を始めてるわけなんですよ。それで、冬ですからね。小さい子も連れているし。だから京都の近辺で何ヶ月か居たんじゃないかと。隠れて。そしてその後に五日市に出て、たぶん五日市には暖かくなる時期まで居たと思うんですよ。それでないと旅はできませんからね。
で、五日市に居たというのは、まぁ、言い伝えでは五日市に居たから五日市という姓なんだよというのがありますね。それからもう一つ。五日市という所は南北朝時代の頃からものすごくお寺が建てられていた。それも臨済宗なんですよ。この臨済宗というのは、まぁ、禅宗なんですけど、公家とか武家の間に広まった宗派なんです。
藤原:はぁ??!あぁ??!なるほど!はいはい。
内山:
もちろん京都にもあるんですけど、なぜか五日市にはものすごく建てられた。おまけに、南北朝時代の落人伝説がたくさんあるんです。ここには。
藤原:あぁ?、落人伝説ね?!
内山:結局、匿ってくれるようなお寺やなんかがあったわけです。
藤原:
いわゆる、この関東地区の公家とか貴族たちが身を守るためにどこかに集中すると思うんですよ。それがたまたま五日市という場所であって、そのためのお寺だったんじゃないかな?と思うんですけどね?。
内山:
そうなんでしょうね、たぶん。それで五日市におそらく6月頃まで居たんだろうと。というのは、藤原さんも言ってたように、秋になれば海は荒れるだろうし、陸路の方では桧原峠がね。ここは標高1100メートルくらいあるんですよ。
藤原:じゃぁ、冬になったら全然ダメだね。
内山:
ダメですね。ここの桧原湖でさえ800メートルありますから。ということは、夏くらい。遅くても秋の始めの頃には(山を)越えなければいけない。だからまぁ、6月頃に出発したと。となると亡くなったのは6月から8月くらいのあいだではないか?となるわけです。
藤原:いや?、藤原さん90点くらいもらえるんじゃない?
内山:もらえますね?。
加藤:さすが! ということで、今週は・・・
藤原:え? もう終わり? 早いな??!
加藤:
はい。ということで、みんなの予想はどうだったかな?ではまた来週お会いいたしましょう。
つづく
|