座敷わらしとの会い方は、次の3通りと言われています。
1、 夢で会う。
2、 覚醒している状態でかるく目を閉じると、瞼のあたりに座敷わらしが現れる。
3、 目を開いて見る。
「緑風荘に泊まって、座敷わらしに会えたと喜んだら、夢だった。」という人がいますが、座敷わらしは、「夢の中に入り込む」「夢を操るのがうまい」と言われています。一般的な夢とは違い、それらは「座敷わらしに操られた夢」と考えて間違いないでしょう。夢と座敷わらしの関係については私にも心当たりがありますので、後で述べたいと思います。
「目を閉じて座敷わらしに会う」、これは心の目で見る方法と言われています。私も一度だけ目を閉じた状態で座敷わらしに会ったことがありますが、まぶたのあたりに座敷わらしが出てきてくれました。もちろんカラーでした。(笑) この会い方には、利点があります。それについても後述します。
私は、一度だけを除き、あとは全て「肉眼で会って」おります。寝ていて目を開けたら目の前にいる場合、じっと空間を見つめていたらスーッと現れる場合等々、いくつかのパターンがありました。
ところで、話しは横道にそれますが、何度か座敷わらしに会っているうちに昔からの言い伝えや、いわゆる幽霊に関する伝聞が的を射ていることに気がついたのです。成仏しないことを「浮かばれない」と言いますが、ほとんどの座敷わらしは、空中に浮かんでおりました。多分、地獄(地下)に落ちると浮遊できないので、そのように言い伝えられたのでしょう。
「幽霊には、足がない」と言われますが、顔だけ、上半身だけの座敷わらしもいましたが足のある座敷わらしもたくさんおりました。ただ、歩いてではなく、空中を滑るように移動するので「足がない」と思われるようになったのではないかと思います。
「人魂(ひとだま)」、これはオーブですね。確かにゆらゆら飛ぶことがあり、しっぽがあるように見えることもあります。実際、私も見たことがありますし、事務局の加藤さんによって緑風荘で撮影もされております。
昔の映画などに多いのですが、「たくさんの人魂が飛び、幽霊が現れる」と言う場面があります。私が座敷わらしに会った時も「たくさんのオーブが現れ、その中の一つが座敷わらしになる」といったことがありました。
以上、言い伝えられてきたこととの合致点をいくつか述べましたが、昔から霊の目撃例は多く、それが語り継がれてきたのだろうと思っております。
さて、話しを元に戻しますが、私が最初に座敷わらしに会ったのは、2003(平成15)年5月5日(正確には6日未明)です。場所は、「蓬莱の間」です。緑風荘に通い始めて通算6泊目のことです。
母親と妹、私の3名で5月5日に「蓬莱の間」に宿泊しました。夜中に夢を見ました。幼いときの懐かしい夢、友達とかくれんぼをしています。私は布団にもぐり込み隠れました。オニ(友達)が寄ってきて、「みぃーつけた」と私のお腹をポンポンと叩きました。その瞬間、「本当に叩かれたような気がして」目を開きました。すると、まっすぐ視線の先、天井近くで「うぐいす色の着物を着た男の子」がじっと私を見ております。私はすぐに座敷わらしだと思いました。恐怖心は全く湧きませんでした。金縛りにはあいませんでしたが、どうして良いかわからず、私はただ見つめるだけ。どのくらいそうしていたでしょう。突然、座敷わらしは、空中を滑るように降りてきて私の目の前でふっと消えました。また現れるかも、と思い目をこらしていましたが、目の前に広がるのは漆黒の暗闇だけでした。しばらくして時間を確認しょうと時計を見ましたが暗くて全く見えず、ライターを灯してやっと時間を知ることができました。午前1時30分の出来事です。しかしながらそのような真っ暗闇の中でも座敷わらしの姿のみならず、着ていた着物の色まではっきりと見ることができたのは不思議というほかありません。
ここでは、夢がきっかけとなり座敷わらしに遭遇しています。座敷わらしは、「夢を操る達人」とのいわれが垣間見える話、と思っていただければ幸いです。
その後ですが・・・・。座敷わらしに会えて有頂天になった私は、緑風荘の女将さんをはじめとする皆さんに「会った、会った」と喋りっぱなし。そして心の中では、「これはついてる。良いことあるぞ。どんな良いことがあるんだろう。」と大喜び。そして緑風荘通いに拍車がかかっていきます。
そんなことでついに座敷わらしに会えた私。当時、緑風荘の先代(和彦氏)は、あるインタビューで「座敷わらしに会える人は、1,000人、いや2,000人に1人くらいでしょう。」と語っていたこともあり、本当に鼻高々。もう座敷わらしと友達にでもなったかのような気持ちで緑風荘に通い詰めます。その後、2004年、2005年、2006年と会えない日々が続きました。その間、特筆すべき御利益のようなものは、全くありません。さすがの私も、もうあきらめ気分。「まあ、1回は会えたから良しとするか。座敷わらしに会うなんて、一生に一度くらいのことだからな。」などと自分を慰めておりました。座敷わらしに会いたいがため緑風荘通いを続けていたのは事実ですが、一方では、女将さんをはじめとする皆さんの心遣いに加え、なんとも形容しがたい居心地の良い空間に魅了されていた自分がいたのも本当のところでした。そんな日々を過ごしているうち、気持ちも徐々に変わりはじめ、2006年の暮れが押し迫る頃には、「ぬか喜びした自分が恥ずかしい。幸運は自分の力で引きよせるものだ。」と思えるようになり、純粋に緑風荘の雰囲気を楽しむようになっていました。
そうこうするうち2006年も暮れ、2007年2月11日、ついに座敷わらしと2回目の対面を果たします。実に3年9ヶ月ぶりのことです。その間の緑風荘宿泊回数は69泊となってました。
今になって考えると、座敷わらしに会う前は、まさか座敷わらしに会えるとは思っていませんでしたし、欲得で緑風荘に行っていたわけではありませんでした。のんびりできる空間と不思議に惹かれていただけでした。それが座敷わらしに会ったとたん豹変し(涙)、欲の塊となり3年数ヶ月。でもその月日は、無駄ではありませんでした。時間はかかりましたが自分の心は少しずつ変わり、「人として恥ずかしくない生き方をしなければ」と思えるようになったからです。そんな風に思える様になった2007年2月11日(正確には12日午前2時05分)、「寿の間」で座敷わらしと会うことができました。2度目の座敷わらしは、暗闇からわき出るように現れました。夜中、目が覚めました。真っ暗で何も見えません。突然目覚めたのに、全く眠気はありません。何となく暗闇を見つめていたところ、暗闇の奥からスーッと座敷わらしが出現しました。体、手足は緑色の竹人形のように見えましたが、顔は人間の子供です。振り子のようにゆっくり揺れ、揺れる度に顔が変わります。5人目の子供の顔が現れた後、フッと消えてしまいました。
2度目の対面後は、自分でも驚くほど冷静にいられました。ただその日は一日中、体がしびれるような喜びと、感謝の気持ちに包まれていたことをはっきりと覚えています。
座敷わらしによって心を入れかえられた私は、それから座敷わらしに会う機会を得ていきます。回数を重ねる度に私自身も大胆になり、体を動かしたり、声をかけたりするようになりました。
その後、緑風荘に宿泊したときは、かなりの頻度で座敷わらしと会うことができるようになりました。同時に、オーブを肉眼で見ることも多くなりました。手を伸ばすとオーブが寄ってきて、手まりのように遊んだこともあります。そんな風にオーブと一晩中戯れていたある晩、夜が白々と明けてきました。すると、オーブはだんだん透明になり見えにくくなるではありませんか。そして明るくなったときには、全く見えなくなってしまいました。昔から幽霊は夜に出るもの、と相場が決まっていますが、明るいと霊体は透けて見えなくなるようです。でも、いなくなるわけではありません。間違いなくそこかしこに存在します。ただ、肉眼では認識しづらいですね。そういうときは、心の目。すなわち「目を閉じて見る」ことができると、明るいときでも座敷わらしに会えるのです。
緑風荘で座敷わらしに会うために心がけていたことがあります。
・夜中に起きるため、深酒はしない。
・夜の10時には寝る。
・できるだけ他の悪口を言ったり、うらやんだりしない。(難しいことですが少しず つ実践しようと今でも思っています。)
・部屋は、真っ暗にする。
・明るいと見えないから、窓の方を向いて寝ない。
最後に、私には「霊善説」の考えがあります。
よく霊は邪悪なもの、取り憑かれると大変等々言われます。テレビなどでは、自称、他称の霊能者なる方々が騒ぎ、驚かし、お金儲けにつなげることがあるとも聞きます。でも世に生きている人間で性根が本当に悪い人はごく少数です。大多数の善良な方々が、死んだ瞬間から悪霊と呼ばれるものになるはずがありません。私は、霊体のほとんどが「善」と信じてやみません。座敷わらしも多分そんな私に心を許してくれたのでは、と思っています。
|