座敷わらし同好会

当会は会費の無い自由な会です

  
Contents
お問い合せ
座敷わらし同好会
代表
 内山正朗




当同好会代表プロフィール

北海道岩見沢市在住
元高校教諭
初代亀麿会会長。
緑風荘に、のべ120回以上の宿泊経験を持ち、座敷わらし(亀麿君)と数多く遭遇している。緑風荘に宿泊してからオーブが肉眼で見えるのだが、本人曰く「霊感が無い」らしい。趣味は
バンド活動酒器の収集、鑑賞する事。







亀麿君を考える
亀麿君はいったい誰なのか?
歴史と推測でのお話しです。


ペットうさぎ専門サイト ペットうさぎ専門サイト ペットうさぎ専門サイト ペットうさぎ専門サイト

座敷わらしの話

ここでは座敷わらしに関連したお話しを御紹介しております。
不定期に内容は更新いたしますのでご覧いただければ幸いです。


岩手出身の小説家宮沢賢治の「座敷わらしのはなし」をご紹介いたします。
*************************************************************************
座敷わらしの話

sohoserviceさん製作(とても良い作品です)
以下文面を記載いたしました。
*************************************************************************
宮沢賢治著


ぼくらの方の、ざしき童子(ぼっこ)のはなしです。

あかるいひるま、みんなが山へはたらきに出て、こどもがふたり、庭であそんでおりました。大きな家にだれもおりませんでしたから、そこらはしんとしています。
ところが家の、どこかのざしきで、ざわっざわっと箒(ほうき)の音がしたのです。
ふたりのこどもは、おたがい肩にしっかりと手を組みあって、こっそり行ってみましたが、
どのざしきにもたれもいず、刀の箱もひっそりとして、かきねの檜(ひのき)が、いよいよ青く見えるきり、たれもどこにもいませんでした。
ざわっざわっと箒の音がきこえます。
とおくの百舌(もず)の声なのか、北上川の瀬(せ)の音か、どこかで豆を箕(み)にかけるのか、ふたりでいろいろ考えながら、だまって聴いてみましたが、やっぱりどれでもないようでした。たしかにどこかで、ざわっざわっと箒の音がきこえたのです。も一どこっそり、ざしきをのぞいてみましたが、どのざしきにもたれもいず、ただお日さまの光ばかりそこらいちめん、あかるく降っておりました。
こんなのがざしき童子(ぼっこ)です。

「大道(だいどう)めぐり、大道めぐり」
一生けん命、こう叫びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、ぐるぐるぐるぐる座敷のなかをまわっていました。どの子もみんな、そのうちのお振舞(ふるまい)によばれて来たのです。ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。そしたらいつか、十一人になりました。
ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう数えても十一人だけおりました。そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、大人が出て来て言いました。けれどもだれがふえたのか、とにかくみんな、自分だけは、どうしてもざしきぼっこでないと、一生けん命眼(め)を張(は)って、きちんとすわっておりました。
こんなのがざしきぼっこです。

それからまたこういうのです。
ある大きな本家では、いつも旧(きゅう)の八月のはじめに、如来(にょらい)さまのおまつりで分家の子供らをよぶのでしたが、ある年その一人の子が、はしかにかかってやすんでいました。「如来さんの祭りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝ていて、毎日毎日言いました。
「祭り延(の)ばすから早くよくなれ」本家のおばあさんが見舞いに行って、その子の頭をなでて言いました。その子は九月によくなりました。そこでみんなはよばれました。ところがほかの子供らは、いままで祭りを延ばされたり、鉛(なまり)の兎(うさぎ)を見舞いにとられたりしたので、なんともおもしろくなくてたまりませんでした。
「あいつのためにひどいめにあった。もう今日は来ても、どうしたってあそばないぞ」と約束しました。「おお、来たぞ、来たぞ」みんながざしきであそんでいたとき、にわかに一人が叫びました。「ようし、かくれろ」みんなは次の、小さなざしきへかけ込みました。
そしたらどうです。そのざしきのまん中に、今やっと来たばっかりのはずの、あのはしかをやんだ子が、まるっきりやせて青ざめて、泣きだしそうな顔をして、新しい熊のおもちゃを持って、きちんとすわっていたのです。「ざしきぼっこだ」一人が叫んでにげだしました。みんなもわあっとにげました。ざしきぼっこは泣きました。
こんなのがざしきぼっこです。

また、北上川の朗妙寺(ろうみょうじ)の淵の渡し守(わたしもり)が、ある日わたしに言いました。「旧暦(きゅうれき)八月十七日の晩、おらは酒のんで早く寝た。
おおい、おおいと向こうで呼んだ。起きて小屋から出てみたら、お月さまはちょうどそらのてっぺんだ。おらは急いで舟だして、向こうの岸に行ってみたらば、紋付(もんつき)を着て刀をさし、袴(はかま)をはいたきれいな子供だ。
たった一人で、白緒(しろお)のぞうりもはいていた。渡るかと言ったら、たのむと言った。子どもは乗った。舟がまん中ごろに来たとき、おらは見ないふりしてよく子供を見た。きちんと膝に手を置いて、そらを見ながらすわっていた。
お前さん今からどこへ行く、どこから来たってきいたらば、子供はかあいい声で答えた。
そこの笹田(ささだ)のうちにずいぶんながくいたけれど、もうあきたから他へ行くよ。
なぜあきたねってきいたらば、子供はだまってわらっていた。どこへ行くねってまたきいたらば、更木(さらき)の斎藤(さいとう)へ行くよと言った。
岸についたら子供はもういず、おらは小屋の入口にこしかけていた。夢だかなんだかわからない。けれどもきっと本当だ。それから笹田がおちぶれて、更木の斎藤では病気もすっかり直ったし、むすこも大学を終わったし、めきめき立派になったから・・
こんなのがざしき童子(ぼっこ)です。

*************************************************************************
東北地方では昔から座敷わらしは家に住み着く精霊とされ、福をもたらしてくれる存在と信じられています。御紹介したように宮沢賢治もその著書の中で座敷わらしの存在を書いています。
座敷わらしは岩手県遠野市などで語り部によるお話で今日もその語りは続いています。

緑風荘と座敷わらし


旧緑風荘


二戸市金田一温泉の緑風荘の座敷わらしは遠野の座敷わらし伝説とは違います。
緑風荘の座敷わらしはその名を「亀麿」といい、緑風荘のご当主五日市家のご先祖様と言うお話しで
残念な事に緑風荘は平成21年10月に火事で消失してしまいましたが、亀麿神社は無傷で残り
今もなお、亀麿君は敷地内の神社にとどまり、春夏秋冬参拝する多くの人達をむかえています。

まずはそんな亀麿神社の四季の風景を見てみましょう。

 春  新芽が芽吹き温かさが伝わります
 
 夏 緑が生い茂り鳥居の赤が引き立ちます。
  モミジの葉が色づき一番美しい季節
 
   幻想的な白の世界
四季が織成す様々な亀麿神社、貴方はどの景色が好きですか?




NEW!!


焼失より6年半・・・みんなが待っていた緑風荘が和モダンの宿として
平成26年5月14日再オープンしました。





以前、亀麿会の総会時に出席された方々にはお聞きいただいたのですが
「旅の音」の管理人「がおちん」さんのブログ内にて、先々代ご当主の五日市栄一氏の座敷わらしの話が
肉声テープで公開されております。がおちんさんご自身で録音されたもので、
以前、ご厚意で亀麿会の総会時にも御紹介させて頂きましたが、
以下にリンクを貼りますのでお聞きいただければ幸いです。
なお、肉声テープは1981年3月のものです。


 旅の音 座敷わらしの話1
 
 旅の音 座敷わらしの話2
 
体験談
   
 写真集    
梅ケ枝清水訪問記    
 緑風荘訪問記
 菅原別館訪問記はこちら
 タガマヤ村訪問記はこちら
 檜原湖の旅   亀麿君の足跡を訪ねて
 
オーブの話


オーブとは一体何か・・
一般的にデジタルカメラの普及に伴い撮影した写真に白い球状の物体が写り込みます。
一説には虫や埃、屋外では雨や雪がデジタルカメラのフラッシュなどにより反射し、露出オーバーによるハレーションでは無いかというのが定説です。
しかしながら、フラッシュを使わず撮影されたものやビデオカメラによる動画などにも写る場合もあるため全てが上記の理由と言う事は当てはまらず、その現象は不思議なものです。
右の写真は当会代表が緑風荘にて
撮影したものです。ご覧のように太陽が背中側にあり逆光となっていますが、そのような状態でもオーブは写ります。 

拡大してみますと球体には模様があり、時として、この画像のように人の姿をしている模様もあります。少なからず、これを埃や虫などが撮影時にハレーションを起こしたと言うには無理があるのではないでしょうか?。

拡大写真


様々なオーブ
 緑風荘有明の間にて撮影
某倉庫内にて撮影

緑風荘高砂の間にて撮影

緑風荘看板前にて深夜撮影

緑風荘大広間にて撮影

緑風荘蓬莱の間にて撮影
 
割烹旅館おぼないの室内より外を撮影


様々な形のオーブがあると思われる事でしょう。
オーブは肉眼では見えません。でもごく一部の人には肉眼でも見えるようで
その感覚は目の前を何かふわっと横切った感覚から判るそうです。

フラッシュを焚かない動画でもオーブは写ります。

当会アシスタントロボ2号さんのちょっぴり動画でオーブが飛んでいます。

ロボ2号ご本人がオーブの存在に気が付いた時にオーブが後ろに飛んでいます。
またご自身のお洋服からも飛び出してきて消えます。
これをオーブが見える霊感の無い内山代表がご覧になり以下のように解説しています。
**************************************************************************

オーブを霊体と考えると、私たちの周りに日常存在する霊魂、と考えて間違いありません。
だからといって、いつでもこのように写る
とは限りません。
なぜなら、この映像には3ヶ所オーブが写っ
ていますが、
3
ヶ所も写り込むというのは偶然というより、
体(霊魂)の『意思』がはたらいていると思われるからです。
霊体(霊魂)は、エネルギー体であるのと同時に意識体でもあります。
従って多くの場合、波長の合う人(気を許している人、楽しい
事をやっている人、
自分に思いを馳せている人、等)とともに写る
ことが多いのです。
霊を信じる人が、楽しいこと(歌)をやっていたから、
今回のオー
ブとの競演になったと思われます。

By 内山正朗
*******************************************************************************

オーブ動画
*注(画質をHD780 をお選びになり暗いお部屋で大画面でご覧頂けると判り易くなります)

緑風荘の蓬莱の間で明るい時間帯でしたがその時に何かを感じ撮影いたしました。
一見、埃が飛んでいるようにも見えますが、その動きには規則性が無く、右から来るもの左から来るもの、正面から来るものと埃とは違う空気の流れを無視した動きでした。
動画内ではデジタルカメラを使い写真を2回程撮影しています。


写真には球体として写っています。オーブが感じられる際は
動画のオーブより写真のこの大きさのオーブを感じるのかもしれません。

*******************************************************************************
<オーブとホコリの違い> 令和2年5月更新

とにかく、オーブ自体を信じない人には
悪い言い方をして100%インチキにしか見えないものかもしれません。
先に申しましたように空気中をただよう埃が乱反射しただけというのが一般的と思います。

意図的にオーブを作ってみる方法もありますので比較してみましょう。
私の職場はオーブがよく写ります。ここであえてホコリを団扇で空中に舞い上げて
フラッシュ撮影を試みました。


無数に映る球体、よく見ますとホコリがフラッシュの光によりハレーションを起こして映ります。
しかしこの場合、球体の大きさは小さく写ります。また球体の中央にホコリの核が
ハッキリと点になって写ります。

拡大すると明らかにホコリの本体である核が入っていますね。
また小さなツブツブの白い点々はハレーションを起こさなかったホコリと思われます。

一方、同じ場所で撮影して偶然に映ったオーブを見てみましょう。



あきらかに球体の大きさが違います。
また拡大してみますとホコリのように中央部に核はありません。


一概に中心部に点があるものが全てホコリによるハレーションだということは
断定できません
が、判断材料としてのひとつかと思います。ご参考にしてみてください。

******************************************************************************
オーブを信じる人の意見をまとめると、オーブは意思を持った光の球体であり、
その意思とは「精霊」「霊魂」といわれる、霊的な存在のことである、と言います。
いずれにせよ、オーブ現象は信じない人にはまっこうから存在を否定し
信じる人には神々しい存在であるのは間違いありません。
ただ、写真じゃなくて、だまっていても肉眼で見える人の場合、
それは 何ですか?と言われても肯定・否定どちらの立場から見ても
誰も説明が出来る物ではないのかもしれません。
肉眼で見える方にはオーブ(半透明な丸い存在)が見えるという
事実がそこにあるだけなのです。

******************************************************************************

オーブの撮影方法について




オーブはフラッシュによる写真撮影で映るものとされていますが
近年、一番わかりやすく、そして肉眼でもわかる映像を撮影する方法は
スマートフォンによる動画撮影が一番ということが判明しました。
お手持ちのスマートフォンで動画をチョイスして、ランプをONにした状態で撮影を始めます。
画面を見ながら撮影位置を変えずしばらく録画してますと、
ピッピッっと白いものが飛ぶのがわかります。
そのうちにオーブは様々な方向から様々な大きさ、明るさのオーブが現れ
記録できます。時間につきましてはやはり深夜が宜しいようです。ちなみに
動画自体は音声も録音しますので「いびき」等聞こえる環境ですと自分しか楽しめない、
また音に気を取られて画面に集中できないということもありますので
是非静かなお部屋で撮影してみてください。
先日の当会親睦会の日にお部屋で撮影した動画です。
開始34秒あたりでクルクルと回りながら出現するオーブが写ってます。
宜しければご覧ください。






座敷わらしに会う方法
座敷わらしに皆さん会いたいですよね。では一体座敷わらしに会うためにはどうしたら良いのか?
そのノウハウを「座敷わらし」に幾度となく遭遇した内山代表に強引にお聞きしました。
内山代表の体験談を交えた貴重なお話しです。どうぞ御朗読下さい。

*****************************************************

座敷わらしに会う方法
 
 

座敷わらしに会う方法を教えてほしい、との依頼がきておおいに困惑しています。確かに私は何度か座敷わらしに会ってはいますが、会うための特別な方法を心得ているわけではありません。生まれてこの方、神や仏を信じて来たわけではないし、いわゆる霊感も全く持ち合わせていないのです。
ある日、突然目の前に座敷わらしが現れて、
その不思議に驚き、魅了されて緑風荘通いを続け、結果、何度か座敷わらしに会うことができた、というだけなのです。そんなことから依頼の趣旨に沿った話ができるかどうか全く自信はありませんが、見聞きした話も含めて少し述べてみたいと思います。


座敷わらしとの会い方は、次の3通りと言われています。

1、  夢で会う。
2、  
覚醒している状態でかるく目を閉じると、瞼のあたりに座敷わらしが現れる。
3、 目を開いて見る。

「緑風荘に泊まって、座敷わらしに会えたと喜んだら、夢だった。」という人がいますが、座敷わらしは、「夢の中に入り込む」「夢を操るのがうまい」と言われています。一般的な夢とは違い、それらは「座敷わらしに操られた夢」と考えて間違いないでしょう。夢と座敷わらしの関係については私にも心当たりがありますので、後で述べたいと思います。

「目を閉じて座敷わらしに会う」、これは心の目で見る方法と言われています。私も一度だけ目を閉じた状態で座敷わらしに会ったことがありますが、まぶたのあたりに座敷わらしが出てきてくれました。もちろんカラーでした。(笑) この会い方には、利点があります。それについても後述します。

私は、一度だけを除き、あとは全て「肉眼で会って」おります。寝ていて目を開けたら目の前にいる場合、じっと空間を見つめていたらスーッと現れる場合等々、いくつかのパターンがありました。

ところで、話しは横道にそれますが、何度か座敷わらしに会っているうちに昔からの言い伝えや、いわゆる幽霊に関する伝聞が的を射ていることに気がついたのです。成仏しないことを「浮かばれない」と言いますが、ほとんどの座敷わらしは、空中に浮かんでおりました。多分、地獄(地下)に落ちると浮遊できないので、そのように言い伝えられたのでしょう。

「幽霊には、足がない」と言われますが、顔だけ、上半身だけの座敷わらしもいましたが足のある座敷わらしもたくさんおりました。ただ、歩いてではなく、空中を滑るように移動するので「足がない」と思われるようになったのではないかと思います。

「人魂(ひとだま)」、これはオーブですね。確かにゆらゆら飛ぶことがあり、しっぽがあるように見えることもあります。実際、私も見たことがありますし、事務局の加藤さんによって緑風荘で撮影もされております。

昔の映画などに多いのですが、「たくさんの人魂が飛び、幽霊が現れる」と言う場面があります。私が座敷わらしに会った時も「たくさんのオーブが現れ、その中の一つが座敷わらしになる」といったことがありました。

以上、言い伝えられてきたこととの合致点をいくつか述べましたが、昔から霊の目撃例は多く、それが語り継がれてきたのだろうと思っております。

さて、話しを元に戻しますが、私が最初に座敷わらしに会ったのは、2003(平成15)年5月5日(正確には6日未明)です。場所は、「蓬莱の間」です。緑風荘に通い始めて通算6泊目のことです。
母親と妹、私の3名で5月5日に「蓬莱の間」に宿泊しました。夜中に夢を見ました。幼いときの懐かしい夢、友達とかくれんぼをしています。私は布団にもぐり込み隠れました。オニ(友達)が寄ってきて、「みぃーつけた」と私のお腹をポンポンと叩きました。その瞬間、「本当に叩かれたような気がして」目を開きました。すると、まっすぐ視線の先、天井近くで「うぐいす色の着物を着た男の子」がじっと私を見ております。私はすぐに座敷わらしだと思いました。恐怖心は全く湧きませんでした。金縛りにはあいませんでしたが、どうして良いかわからず、私はただ見つめるだけ。どのくらいそうしていたでしょう。突然、座敷わらしは、空中を滑るように降りてきて私の目の前でふっと消えました。また現れるかも、と思い目をこらしていましたが、目の前に広がるのは漆黒の暗闇だけでした。しばらくして時間を確認しょうと時計を見ましたが暗くて全く見えず、ライターを灯してやっと時間を知ることができました。午前1時30分の出来事です。しかしながらそのような真っ暗闇の中でも座敷わらしの姿のみならず、着ていた着物の色まではっきりと見ることができたのは不思議というほかありません。


ここでは、夢がきっかけとなり座敷わらしに遭遇しています。座敷わらしは、「夢を操る達人」とのいわれが垣間見える話、と思っていただければ幸いです。

その後ですが・・・・。座敷わらしに会えて有頂天になった私は、緑風荘の女将さんをはじめとする皆さんに「会った、会った」と喋りっぱなし。そして心の中では、「これはついてる。良いことあるぞ。どんな良いことがあるんだろう。」と大喜び。そして緑風荘通いに拍車がかかっていきます。

そんなことでついに座敷わらしに会えた私。当時、緑風荘の先代(和彦氏)は、あるインタビューで「座敷わらしに会える人は、1,000人、いや2,000人に1人くらいでしょう。」と語っていたこともあり、本当に鼻高々。もう座敷わらしと友達にでもなったかのような気持ちで緑風荘に通い詰めます。その後、2004年、2005年、2006年と会えない日々が続きました。その間、特筆すべき御利益のようなものは、全くありません。さすがの私も、もうあきらめ気分。「まあ、1回は会えたから良しとするか。座敷わらしに会うなんて、一生に一度くらいのことだからな。」などと自分を慰めておりました。座敷わらしに会いたいがため緑風荘通いを続けていたのは事実ですが、一方では、女将さんをはじめとする皆さんの心遣いに加え、なんとも形容しがたい居心地の良い空間に魅了されていた自分がいたのも本当のところでした。そんな日々を過ごしているうち、気持ちも徐々に変わりはじめ、2006年の暮れが押し迫る頃には、「ぬか喜びした自分が恥ずかしい。幸運は自分の力で引きよせるものだ。」と思えるようになり、純粋に緑風荘の雰囲気を楽しむようになっていました。

そうこうするうち2006年も暮れ、2007年2月11日、ついに座敷わらしと2回目の対面を果たします。実に3年9ヶ月ぶりのことです。その間の緑風荘宿泊回数は69泊となってました。

今になって考えると、座敷わらしに会う前は、まさか座敷わらしに会えるとは思っていませんでしたし、欲得で緑風荘に行っていたわけではありませんでした。のんびりできる空間と不思議に惹かれていただけでした。それが座敷わらしに会ったとたん豹変し(涙)、欲の塊となり3年数ヶ月。でもその月日は、無駄ではありませんでした。時間はかかりましたが自分の心は少しずつ変わり、「人として恥ずかしくない生き方をしなければ」と思えるようになったからです。そんな風に思える様になった2007年2月11日(正確には12日午前2時05分)、「寿の間」で座敷わらしと会うことができました。2度目の座敷わらしは、暗闇からわき出るように現れました。夜中、目が覚めました。真っ暗で何も見えません。突然目覚めたのに、全く眠気はありません。何となく暗闇を見つめていたところ、暗闇の奥からスーッと座敷わらしが出現しました。体、手足は緑色の竹人形のように見えましたが、顔は人間の子供です。振り子のようにゆっくり揺れ、揺れる度に顔が変わります。5人目の子供の顔が現れた後、フッと消えてしまいました。

2度目の対面後は、自分でも驚くほど冷静にいられました。ただその日は一日中、体がしびれるような喜びと、感謝の気持ちに包まれていたことをはっきりと覚えています。

座敷わらしによって心を入れかえられた私は、それから座敷わらしに会う機会を得ていきます。回数を重ねる度に私自身も大胆になり、体を動かしたり、声をかけたりするようになりました。

その後、緑風荘に宿泊したときは、かなりの頻度で座敷わらしと会うことができるようになりました。同時に、オーブを肉眼で見ることも多くなりました。手を伸ばすとオーブが寄ってきて、手まりのように遊んだこともあります。そんな風にオーブと一晩中戯れていたある晩、夜が白々と明けてきました。すると、オーブはだんだん透明になり見えにくくなるではありませんか。そして明るくなったときには、全く見えなくなってしまいました。昔から幽霊は夜に出るもの、と相場が決まっていますが、明るいと霊体は透けて見えなくなるようです。でも、いなくなるわけではありません。間違いなくそこかしこに存在します。ただ、肉眼では認識しづらいですね。そういうときは、心の目。すなわち「目を閉じて見る」ことができると、明るいときでも座敷わらしに会えるのです。

緑風荘で座敷わらしに会うために心がけていたことがあります。

・夜中に起きるため、深酒はしない。

・夜の10時には寝る。

・できるだけ他の悪口を言ったり、うらやんだりしない。(難しいことですが少しず つ実践しようと今でも思っています。)

・部屋は、真っ暗にする。

・明るいと見えないから、窓の方を向いて寝ない。

最後に、私には「霊善説」の考えがあります。

よく霊は邪悪なもの、取り憑かれると大変等々言われます。テレビなどでは、自称、他称の霊能者なる方々が騒ぎ、驚かし、お金儲けにつなげることがあるとも聞きます。でも世に生きている人間で性根が本当に悪い人はごく少数です。大多数の善良な方々が、死んだ瞬間から悪霊と呼ばれるものになるはずがありません。私は、霊体のほとんどが「善」と信じてやみません。座敷わらしも多分そんな私に心を許してくれたのでは、と思っています。

*******************************************************************************

体験者では無いと出てこないこのお話し、如何でしたでしょうか?緑風荘の焼失後、近隣の宿には座敷わらしやオーブの目撃談が出ているようで金田一温泉全般に会える可能性があると言う事も補足しておきます。緑風荘は現在、再建に向けて準備しております。再建し宿泊した際、座敷わらしに会えるための心得としてこのお話をお役立て下さい。




Copyright(C) zasikiwarasidoukoukai All Rights Reserved.

newryokufuusou.htmlへのリンク

inserted by FC2 system